Marina’s blog

マレーシアの大学で日本語を教えている協力隊のブログです

フリーダイビングって知ってますか?

これからこのブログでは普段の大学での活動のことも、プライベートや趣味のことも関係なく書いていくつもりです。日記のように。

 

今回は完全に趣味の話。

フリーダイビングの話です。

2年ほど前からやってみたいと思っていたフリーダイビング。実際できるかどうかはともかく、マレーシアに来る前にスクールを調べていました。そして大学が学期休みの今がチャンス、さっそくこの土日にベーシックコースを受講してきました!

 

フリーダイビングとは?

キューバダイビングはスキューバ(水中呼吸装置)を使うのに対して、フリーダイビングスキンダイビング)は自分の息だけで潜る。つまり素潜りのこと。
だいぶ前にテレビ番組のQさま!で、潜水(一息で何メートル泳げるか)をやっていた時期がありました。確かオードリーの春日や安田大サーカスの団長とかが出てた。水面に出てから"I'm ok"と言えたら記録になる。その前にブラックアウト(酸欠からの意識喪失)してしまう人もよくいて、子供ながらに人間は怖いことしたがるもんだなぁと思っていた気がする。(笑) 実はあれもフリーダイビングの競技の一つで、英語だとDynamic apneaと言います。このように距離を測るものの他に、深さを測るもの、息こらえの秒数を測るものもあります。

フリーダイビングスキンダイビングの定義については曖昧で、スキンダイビングはレクリエーションの要素が強く、フリーダイビングは競技性を重視したものと言われるようです。私はただいろんな場所を自由に泳いだり、様々な生き物と一緒に泳ぐのに憧れてただけ。限界を知りたいとか記録を出したいとかいう気持ちはないので、私のゴールはスキンダイビングかもしれない。でもスキンダイビングももちろんテクニックの習得が必要なわけで、競技として明確なルールがあり、教育的要素の強いフリーダイビングのメソッドから学んでいこうと思ったわけです。

 

フリーダイビングに興味を持ったきっかけ

ダイビングの初体験は2014年6月の石垣島でのスキューバダイビング。そのときに見た海の中の美しさが忘れられません。魚が本当に楽しそうに泳いでいて、空気や水や生き物のいろいろな音がして、植物がさわさわと揺れていて、潮の流れ、水温の変化を体で感じた。陸の上の世界で生きてれば考えもしないけど、海の下にはこんな世界があるんだ!と。

それから、またいつかやりたいなーとは思っていたけどなかなか機会もお金もなくできませんでした。
しばらくして、いつも聞いているPodcastバイリンガルニュースで二木あいさんの話が出てきて、そこで初めてフリーダイビングというものについて知りました。
二木あいさんは、水中表現家としていろんな場所の海に潜り、写真を撮ったり、ドキュメンタリーを作ったり、講演を行ったりしている人。
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(二木あいさん。人魚みたい!)

 スキューバダイビングでは呼吸をしながらゆっくりと潜れるけれど、スーッ、ブクブクブク…と空気の音がするので、魚が怖がってしまう。またタンクの重さで体の動きに制限が出る。逆にフリーダイビングには潜れる時間に制限があり、技術も必要とするけれど、より自然に海との一体感を楽しめる。生き物も怖がらずに、逆に興味深々で近寄ってきてくれる。

つまり、「最低限の道具で最大限に海を楽しむ」スポーツなのです。


二木さんの話を聞いて、次ダイビングをやるならスキューバじゃなく自分の息で潜ってみたいと思いました。それと、フリーダイビングは精神的なコントロールのためにヨガを使ってトレーニングするため、もともと興味のあったヨガの新しいモチベーションになる。さらに、呼吸法やダイビングを通して自分の体のことをもっとよく知れる。
これらがフリーダイビングをしたいと思った主な理由です。まぁ一番は魚みたいに泳いでみたい!という子供みたいな理由ですね。笑

 
フリーダイビングでは、泳ぎ方、フィンの使い方も大事だけど、やはり一番大事なのは呼吸。長く息を続けるためにはなるべく酸素を使わないようにしなければなりません。酸素は筋肉を使うことだけでなく、脳を使うことでもかなり消費するので、精神的なコントロールが鍵になります。なのでヨガなどを取り入れてトレーニングします。
どんなスポーツにも精神論は絡んでくると思うけど、フリーダイビングはそれがより密接に関わってるスポーツと言えるのではないでしょうか?

 

というわけで、直接やっている人から聞いたわけでなくただの憧れで始めました。身近にやっている人を知らないので、もし興味がある人がいたら教えてください(笑)

 

次に実際に受けたベーシックコースの体験レポです。

去年の今日

そういえば。

去年の今日は私が台北に着いた日だ。2016年の夏は台湾で過ごしていました。

始まりはJICAの研修の合間に2ヶ月ほど時間ができたこと。その期間をバイトにあてることも、実家で過ごす事も考えたけど、自由に過ごせる数ヶ月なんて、次いつあるかわからない。気がつけば、台湾の大学のサマーコースを探していました。

台湾人の親友に相談して、台北師範大学の中国語コースを登録。平日は大学、週末は旅行、市内散策、言語交換という、それはそれは楽しい日々を送っておりました。家は友達が探してくれたシェアハウスで、素敵な2人の台湾人のルームメイトと生活し、大学ではアメリカ、スウェーデンインドネシア、韓国からの学生と一緒に、元気で教え方の上手な先生から中国語を習っていました。楽しかったなぁ。

 台湾にいる間はInstagramに毎日一枚、何らかのことを投稿していました。毎日一枚ということ自体はどうでもいいけど、2ヶ月という時間の中で、毎日をどう充実させるか考えることに必死だった。今思えばそれが楽しかったのかもしれない。

 

マレーシアに来て約半年、4分の1が経とうとしています。マレーシアでの生活もそれなりに充実しているけど、2ヶ月のうちの1日と、2年間のうちの1日はやっぱり違う。ここでの1日1日も、本当は2ヶ月のうちの1日のように、むしろ明日人生が終わるかもしれない最後の1日として、そう思って必死に生きたいけどいつも忘れがち。

派遣前は「毎日一日の終わりに、今日も頑張ったなーと思って眠りにつく」ことを目標としていたけど、この目標がめちゃくちゃハードルの高いことだと気がつきました。だって半年の中で、そう思えた日が何日あったか。というかそんなに毎日頑張れるほどタフじゃない私。

 

最近は学期休みに入って時間があるから、これまでの反省をしたりこれからの計画を立てたりしていました。その中で、活動のやる気もモチベーションもなぜか落ち気味。そういう時期なんですかね?

こういうときに思い出すのは、「魔女の宅急便」でキキが飛べなくなったときのウルスラの言葉。

 うまくいかない時はジタバタするしかない。描いて描いて描きまくる。それでだめなら描くのをやめる。散歩したり景色を見たり、何もしない。そのうちにまた描きたくなるんだよ。

1日で見たら全然だめな日も、あとから見たら充実した日々の一部分になるかもしれない。そう思ったらうまくいかない日もあっていいと思うし、頑張れる。だから、だめな日も大事にしたいし、だからもっとブログも更新したい。(2ヶ月も放置していたくせに…笑)

いろんなことを気にして書けなくなるくらいなら、やめよう。でもやめる前に、ジタバタしてみよう。楽しいこともどうでもいいことも書きたいと思えるうちに書こう。今日という1日の終わりはそんな気持ちです。

 

あーまた台湾行きたい!

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PAMAJA同窓会@ヌグリスンビラン

今日はKLから南に約1時間半のヌグリスンビランへ調整員さんと2人で行って来ました。

そこで行われていたのは、PAMAJAというJICA主催の青年交流プログラムの同窓会。JICAボランティアがホームステイでお世話になっている、あるホストファミリーの方のお誘いで今回参加することができました。

場所はヌグリスンビランのカンポン(村)。市内からさらに20分ほど車で行った山の中でした。

今回協力隊としてマレーシアに来てから(先々週ミリに行ったのを除いて)州をまたぐことなくKLで生活していた私にとって、「カンポン」へ行ける!というのはとても魅力的なことだったし、配属先以外でマレーシアの方々と交流できる機会も多くないし、マレーシアのパーティー文化も体験してみたい、ということで、調整員さんの連絡を見て即答で参加することにしました。

 

着いた場所はまさにカンポン。

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近くには馬や、ヤギや、ダチョウ?もいました。

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着いてすぐ、まずは朝ごはん。

マレーシアの定番朝ごはん、ナシレマです。

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ご飯を食べていると、いろんな人が私たちを見て話しかけにきてくれました。

印象的だったのは近くに住んでるというおじいさん。優しい雰囲気で自己紹介をしてくださり、それから「昔自分が生まれる前に、ここで日本人がたくさん人を殺したんだ」という話をし始めてくれました。

木に登ったり隠れたりして逃れた人もいた、家にはよくお化けが出た、でも先祖のお化けだから全然怖いと感じない、など(私がちゃんとマレー語聞き取れていれば)。そして、昔は昔で今は今、皆日本人が好きだよ、と言ってくれました。

調整員さんは、こういう話はマレーシアのどこにいってもよく聞くことですね、とおっしゃっていました。

日本でもなかなか聞く機会が少なくなってきた戦時中の話。年配の方とお話できる機会、大事にしたいなと思いました。

 

 朝ごはんのあとは屋根のある場所に移動。自己紹介をしながら今回のVIPであるDato(位の高い男性につける敬称)の到着を待ち、その後はいろんな方々のお話を聞く時間に。

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感想は、話がななななな長い。

始めはわかるマレー語の単語を拾いつつ、今こんな話してるんだろうなーと想像しながらついて行っていたけど、途中から座っているのも辛くなってくる。笑

特にDatoのお話。最初日本に行った時の話をしていたと思ったら、次回の開催場所はペナンにしましょう、からのペナンの話延々。途中ドリアンの話多分15分くらい。そのあとは自分のビジネスの話もしてたような、、、笑

お話好きなマレーシア人です。

この同窓会を仕切っていた方は、プログラムへの愛を熱弁されていて、長かったけど、しっかり聞こうという気にさせてくれました。笑  

 

ところで、今回の同窓会のプログラム、PAMAJAについて。詳しくは分からないのですが、同窓会の参加者はほぼ1980〜90年代にマレーシアから日本へ行った方々。プログラム参加年齢が20、30代なので、多くが60歳以上でした。
東方政策の一環で始まった交流プログラムの1つのようで、マレーシアから日本に研修生を送ってホームステイや様々な場所の視察を行っているそうです。今日話した参加者の方々は秋田、栃木、山口、大分などでホームステイをしたとおっしゃっていました。(これもマレー語が聞き取れていれば。)

 

同窓会に参加してみて、

まずJICAのプログラムで日本に行った方が数十年経ってもこうして同窓会を行なってることは単純に素晴らしいなぁと思いました。

また今回日本人の参加者は私たち2人だけだったのですが、ほとんどの方が、日本人が来ていると聞いて、おはようございます、元気ですか?と声をかけてくれたことを嬉しく思いました。

 

そしてマレーシアのパーティー文化体験もとても楽しかった。参加前の連絡で、ドレスコードとして青系の服を着ること、ナイスラッピングをしたお土産を一人1つ持ってくることとあったので、誘ってくださった方の要望に応えて青系の浴衣を着て、日本のお菓子を包んで持って行きました。みなさん青系のスカーフやシャツを着てきていて、爽やかな雰囲気。マレーシア人の見た目をCantik(きれい)にするのが好きというのがよく表れていました。

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それからヌグリスンビランの料理。

プログラムの中にkuih(おやつ)作りのデモンストレーションがあり、見学、味見させてもらいました。

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↑kuih kochi

ココナッツから作った具を小麦粉で作った皮で包んで蒸したおまんじゅうみたいなもの。甘くて美味しかった!

 

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↑kuih sarabai

ご飯から作ったパンケーキみたいなもの。ここではココナッツミルクとドリアンシロップを加えていただきました。これもなかなか!ただわたしはドリアンなしでいい。笑

 

昼ごはんは、いろんな種類のカレー

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全部ちょっとずつ取ったのですが、全部スパイシー。ヌグリスンビラン料理は他の州に比べて辛いものが多いらしい。

確かに、KLで食べるのは甘さと辛さ両方ある感じですが、これらはかなり辛さを重視した感じでした。でも美味しかった!

 

今日一日を振り返ると…

戦時中の話をしてくれたおじさん。

話の長いダトーのおじさん。

 日本語の語尾〜です。が全部「でし。」になってて可愛いおじさん。

スティービーワンダー風の風貌で、「昴」をはじめとした懐メロをプロ並みの歌唱力で歌うおじさん。

ハエブンブンの中、一緒に汗かきながヌグリスンビラン料理を食べた、派手派手バティックのおじさん。

あれ、思い出すとおじさんばっかり。笑

 

日本とマレーシア、そしてJICAの歴史を実際に感じ、たくさん素敵な体験ができたカンポンでの休日でした。

ここまでの振り返り

5月1日、メーデーの祝日でお休みだったマレーシアです。

だいぶ期間があいてしまったけど、最近の近況報告をしたいと思います!

 

赴任してから今日までの約2ヶ月半、、

誰に頼っていいか分からない不安の中始まった2月。

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(初めて訪れた日に撮ったMJIIT)

 

出会った学生たちのおかげで大学や授業のことが少し分かってきた3月。

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(休み時間に学生が休んでる大学のロビー)

 

授業準備でばたばたの毎日、体調も崩した3月後半から4月。

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(空にはいつも癒される)

 

2ヶ月ぶりの同期との再会、2回目の皇太子さまご接見、幼馴染の来馬、、、とっても濃かった4月中旬。

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(友達と食べた南国フルーツ)

 

そしてこの1週間は、初めて首都を脱出して参加したボルネオ島のミリにある学校の日本祭りと、土日にKLで行われた日本語フェスティバル、2つの日本文化行事を見る機会がありました。

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(日本文化の日 @ILP Miri)

 

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 (JL Fest @Lai meng school)

 

もうブログに書けそうなネタばかりなのにー笑、更新できずにおりまして。こんな風にまとめてしまいましたが、時間ができたら、改めて取り上げます。きっと!

 

何しろまだ大学の学期中。いつものことながら、明日の授業準備もまだ終わってません。

活動のことをちゃんと振り返られるのも今学期が終わる6月末になることでしょう。

 

今の活動は、相変わらず日本語の授業でいっぱいいっぱいです。

現在の日本語授業は、週によって違い、少ない週(課外授業だけの週)は4クラス10コマ、多い週(学部授業がある週)は6〜8クラス、20コマ弱を担当しています。同じ内容をやることもあるので、きっと慣れたらそうでもないのでしょうが、今の私にはこれで精一杯。ほんとはもっと授業外のアクティビティを進めていきたいのですが、授業をないがしろにしては本末転倒なので我慢。

 

授業づくりというのは終わりがないなぁとつくづく感じています。準備も授業も満足できたことは一度もないし、2年間で満足できる授業が1つでもできたらいいな、と思っているくらいです。

あの文法項目はまとめてあげたほうがよかったなぁ、板書のしかたもうちょっと考えられたなぁ、説明に使う英単語調べておけばよかったなぁ、ドリルや確認が足りてないなぁ、学生のあの質問想定できたはずなのにちゃんと考えられてなかったなぁ、教案の時間配分まだまだ詰められてなかったなぁ、、、、

振り返りノートはいつも反省だらけ。

でも、こうして進んでいくしかないのだと思ったら、小さな躓きも楽しく思えたり。そしてノートには小さくてもいいのでできたこともたくさん書くようにして、それは次への自信になっています。このまま今学期の残り約2ヶ月も駆け抜けたいと思います。

 

実は、現状の未完成な授業でも、とりあえず今はいいかーと先週までは思っていました。今の時間的余裕と能力ではここまでかなーと。

 

そんな時に、この土日の日本語フェスティバルで、昔お世話になった先生方にお会いしました。

そのうちの二人は、大学2年の時に参加したマレーシアでの日本語教育実習でお世話になったマレーシア人の先生方。私が今ここにいるのはこの人たちとの出会いのせいだと(笑)思っているくらい、本当に良くしてくださった、マレーシアにまた来たいと思わせてくれた人たちです。もう一人は、一昨年、関西国際センターでのプログラムに参加した時にお世話になった国際交流基金の先生。偶然現在マレーシアのセンターにいらっしゃってこうして再会することができました。

 

先生方と会って、自分は今までいろんな機会をもらってやってきたんだということを思い出しました。

その度に刺激を受け、震え立つような魅力や楽しさを感じたことも。

まっすぐここまで日本語教育の道でやって来たわけでは全然ないけど、その道を繋いでくれた人たちにこうしてまた会えることは、私にとっての運命なのかなと思うし、そんな恩人とも言える人たちに恥ずかしくないように頑張りたいと思います。

それで、今少し手を抜いていたことも、もう少しちゃんとやりたいと思うようになったのでした。まだできる、まだやらなきゃ。

 

さて、5月からの目標ですが、

毎朝ラジオ体操。

週に3日以上走る。

毎日料理。

全然活動関係ないじゃん!という感じですが、いや、活動をしっかりしていくための基礎となる健康、土台づくりです。

(そして来たる東南アジア最高峰登山のためにも??…それは未定)

 

最後に、今日やっと撮れた我が家を守ってくれてるチチャック(ヤモリちゃん)を載せておきます。近づいてソファに隠れそうになったところをパシャり。

 

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 それでは!

風邪と優しさの話。

おはようございます!4月、日本の春を感じたいこの頃です。

でも、桜はなくても、常夏でも、自然と4月になると新しい気持ちになりますね。

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(日曜日は天気が良くて気持ちよかった!ツバメもぐるぐる気持ち良さそうに飛んでいました)

 

 

今週は学期中間休みで1週間学部生はお休み。みんな実家に戻っているらしく、昨日の昼の学食はがらんとしていました。

授業がほとんどないので、今週は自分の時間があって、正直とても嬉しい!

先週までは、次の日の授業準備を前日にするような、余裕のない自転車操業日本語教師でした。毎日バタバタで、詰めたいところを詰められないで授業をやり、不完全燃焼で終わることも多々。

なので、この1週間はとっても貴重です。これまでできてなかった授業の振り返りや、JICAチームで進めている教材作成の作業、来週以降の授業準備の時間に当てられる。やったー。

 

 

本当はもっと早くブログを更新するつもりでした。上に書いたことだけ見るとめちゃくちゃ忙しそうですが、実際息抜きもかなりしていたし、忙しさはそこまででもないです。

ただ、ひいてしまったのです、風邪を…。そして全然治らなったのです。

風邪が治ったらブログ書こうと思っていたら、かれこれ3週間経ってしまいました、ぎょえー。常夏なので、ひいたらそれは夏風邪。治りにくいったらありゃしない!

 

ということで、今日は風邪の間にあった出来事と、優しさの話を。

 

風邪を引いた

3月13日月曜日。朝起きると微かにのどに違和感。いつも通り大学へ行って、オフィスで翌日の授業準備をしていました。しかし帰る頃になると、体がだるくなり、いつもは6時くらいまでいるところ5時きっかりで帰りました。

 

日本では風邪は1日あれば治るタイプ。中学高校6年間の皆勤賞は自慢です。

「今日だって大丈夫、明日は大学院生の授業の初日だから、絶対行きたい」

幸い食欲はあったので、しっかり食べて(確かあの日はチャーハンとサラダ)、早めに横になったのです。…が、夜中目が覚めて、熱を測ると37.9度。

翌日14日はやむを得ず欠勤しました。課外の大学院生と、先生方にメールして一日寝ていました。

朝方は休むかどうかで一人でベッドの上で葛藤していましたが、今考えれば、課外の授業だけだったし、熱がある時点で最初から何も悩まずにしっかり休んで早く治すことを考えるのが正解だと思いました。

マレーシアはもともとMC(Medical Certificate)をとって休む人が多いようで、病欠で休める日数もすごく多いみたいです。

 

次の日は熱が下がっていたので出勤できました。やっぱり元気、健康だけが私の取り柄。…そう思っていたのも束の間、のどの痛み、鼻水、咳が程度を変えながら、2週間ずーっと治らない。

自分のせいでもあります。治ってきた、これはもう大丈夫だと思ったときに、帰国隊員の送別会でのどを潰したり、バルコニーで薄着で涼んだり、休日に山登りしたり(今考えると、だめでしょってつっこみたい(笑))。

13日以来欠勤はせずに済んだのですが、発音に支障が出るくらいの鼻声で授業したりもしたので、学生に申し訳なかった。体調管理もボランティアの大事な仕事。反省しています。

 

病院へ行った

2週間くらい経った頃に、また微熱が出て、さらに夜中の咳がひどかったので、病院へ行きました。クアラルンプールは恵まれていることに、日本人医師のいる病院がいくつかあります。JICAの医療機関リストをみて一番近いところへ行きました。

 

ここでマレーシアに来て一番くらいにショックなことがありました。

悪口は書きたくないのですが。。

医師による診察が終わって、ロビーで薬が処方されるのを待っていたら、先程診察してくださった医師が薬剤師のところへ来て、明らかに私に聞こえる距離で、

 

「咳が止まらないくらいで来る人初めて」

 

言葉は少し違ったかもしれないけど、そう言いました。

その言葉はぐさりと私の心に突き刺さりました。よく分かる日本語の言葉で。確実に。

今考えると軽い嫌味、全然大したことないのですが、

体が弱っているときに、すがる思いで行った病院だったので、普通にショックでした。その次の週には大事な学部の授業があったからしっかり治したくて、確かに熱はないけど、咳は本当にひどかったから。

「協力隊なのに」とか「MCとるためか」とかそんな言葉まで聞こえてきそうで、また、そんな風に考えてしまう自分さえ嫌でした。

 

それに反応したかのように、急に咳がこみあげてきて、トイレに駆け込んで5分ほど止まらない咳と戦いました。

やっと出て行ったら、お医者さんは部屋に戻っていました。薬剤師さんも看護師さんも誰も私に一瞥もくれない。

そんな、すごく孤独を感じた出来事でした。

 

そのあとは薬ももらえたし、割とすぐに開き直れていたのですが、そこでワンモアダメージ。帰りのクリニックの医療費が…なんと!495リンギ。日本円で15000円以上。ただの風邪、普通の診察受けて、薬もらっただけなのに、これは何なんでしょう??そのときはよくわかっていなかってのですが、冷静に計算してみたときはかなりびっくりでした。JICAの共済会のおかげでお金は戻ってくるけれど。

もう何も反応すらしたくなかった私は、さっさとカードで払って、帰りました。

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抗生物質、痰をとる薬、炎症を抑える薬、咳止めシロップ)

 

 

言葉って大事。その前にあるべき優しさはもっと大事。そしてお金も大事。

こんなことでへこんでられないし、いい教訓を得られたと思うようにするしかありません。

話を聞いてくれる人がいたおかげで、すぐに立ち直れました。

そして、そんなエピソードも忘れられるくらい、たくさんの優しさにも触れました。

 

学生からお見舞いをもらった

まず、風邪で欠勤したことを知った学生が、2日後にオフィスへやってきて、

 

「先生、これ食べてください。油はあまり入っていません。早く良くなってください」とくれた手作りの料理。

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(チキンスープと茶碗蒸し)

 

 

別の学生は、お見舞いの手紙を書いて、はちみつと一緒にくれました。

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授業終わりに、大丈夫ですか、と声をかけてくれる学生もいれば、Hope you get well soon. とメッセージを送ってくれる学生もいました。

大学は本当に優しい人ばかりで、幸せです。

 

言葉は人を傷つけもするし、救いもする。言葉を扱う仕事をする立場としても、一人の人間としても、大事なところに触れられた数週間でした。優しさに触れると自然とそれに返したくなるものです。今は受けた分の優しさを、授業で、日本語で返していきたい。そんな気持ちです。

 

風邪で終わった3月

大事な教訓と、温かい気持ちと、若干の咳と一緒に4月を迎えました。

まだまだ経験も知識も足りないですが、先週までのバタバタがハタハタくらいになって、少しは学生のためにできたなーという達成感を得られるように、今週は準備に勤しみたいです。

 

あ、今私は元気です!風邪の間もしっかり食べていたし、毎日鼻をかむのと咳をするので腹筋がだいぶ鍛えられた気がします。(笑)

皆さんくれぐれも体には気をつけて。

それと、ポカリにはだいぶお世話になりました。大塚製薬さまさまです。

 

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それでは!

3週間経ちました

最近雨の多いクアラルンプールですが、雨が降るのは大体夕方。朝はすっきりとした空が見られることもあって、家から望める朝の空はとてもきれいです。東向きの家でよかった。毎朝日の出を見るのが日課になりました。

 

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(寝室の窓から見える朝の風景、これで7時過ぎくらい、朝が遅い)

 

こんばんは。

赴任して3週間、前のブログからも3週間経ってしまいました。

新しい環境での3週間なので毎日いろんなことがあったけど、ようやく落ち着いてきました。

 

3週間の中であった次の3つのことについて、

・授業見学

・大学で1番日本語のできる学生との出会い

・日本からの学生との出会い

 

そして

・4週目の現在と来週からもつ授業について

書きたいと思います。

 

授業見学

日本語の授業自体を見ることが久しぶりだったので、日本語教育の世界ただいま!な感覚でした。それからは毎週3回ほど見学させてもらっています。

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(授業の様子)

 

カウンターパートの先生が授業で使う言葉は半分くらいが英語。それを見てしまうとこれから自分が英語ができるのか心配になる。まぁ日本語だけでも授業はできるので、自分は自分の方法でやっていきたいです。学生はみんな真面目に授業を受けていて、でも全体的にシャイな印象。発言しやすい雰囲気づくり…楽しい授業…話したくなる授業…を念仏のように頭の中で唱えながら自分の授業について考えています。

授業自体の感想は、書くと細かくなるので、日本語教師の人ならわかることを言うと、ずばり「まるごと」の楽しさと難しさとすごさ。2時間で学生がその課の項目がすらすら話せるようになるのは、見てるだけで達成感があるしとっても嬉しい。

これからやるせてもらうクラスも1つは「まるごと」使用なので、うまくいってもいかなくても、楽しみだしいい経験になりそうです。

 

大学で1番日本語のできる学生との出会い

2年生の中に1人、すでにN1(日本語能力試験の一番上のレベル)保持者の日本好きな中華系の学生がいます。

マレーシアの大学入試は、統一試験の成績と希望で大学が決まるのですが(政府が決めるため、学生の希望と全く違う学部になることも)、その学生は、分野は関係なく日本が好きだからという理由だけでこの大学を選んだらしい。実際のところは、大学に入ってから期待通りでないこともあるようだけど。彼の日本と名の付くものへの興味はものすごくて、1年生で日本サークルを立ち上げたり、スピーチコンテストで優勝したり、奨学金をもらって日本での短期研修に参加したりと活躍中。今ではサークル長や、広報誌の編集長や、なんとかアドバイザーやらなんやらたくさんの肩書きを持っている学生です。

赴任2日目の日に、先輩隊員が彼を私に紹介してくれました。その頃何も分からなかった私は学生とのつながりが欲しかったし、また彼も新しく日本語が話せる相手が来て嬉しかったのか、ほぼ毎日オフィスに寄ってくれるようになりました。

その学生のおかげで大学のこと、授業のこと、学生生活のこと、サークルのこと、先生のことをかなり知ることができた。あまり一人の学生に頼りすぎてはいけないと思うときもあるけれど、きっとこれからもお世話になるでしょう。彼のやる気を生かしつつ、無計画に突っ走りすぎるところをうまくなだめつつ、周りの学生との関わりや仕事の割り振りを考えながら、学生皆と一緒に何かできたらと考えています。

日本からの留学生との出会い

配属先の大学には、数週間から1年といった様々な単位のプログラムで、日本からも学生が来ているそう。オフィスにもいろいろな日本国内の大学の部屋があって、今私の部屋の向かいには山口大学のオフィスができたりしています。

2週目の木曜日、先程の日本語のできる学生に誘われて、学生寮の近くで開かれている夜市に行きました。

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(夜市の様子)

 

そこへ一緒に行った1人の日本人学生。2月からマレーシアに来て3月末までいるという某私立大学の4年生。その学生も私も、お互いMJIITに来たばかりでひとりぼっち(日本人学生が今ほとんどいない時期)ということで、初対面にも関わらず学生をおいて話しまくる。笑

大学のこと、マレーシアのこと、就活のこと、将来のこと。心の中ではさらに、この学生の年齢の時自分は…とか、協力隊として今ここにいる自分のこと、その学生の歩んでいくであろう道、いろんなことを想像していました。例のごとく。

他人と自分を比べる、比べたがり人間です。それで落ち込むこともあったし、それが嫌でなるべく比べないようにと思ったりもしたけど、最近は単純に人の人生を知ること、そして自分の人生を顧みることって大事だなーと、まだネガティブな感情を伴うこともあるけど楽しいなーと思えて、今回も最終的には今の自分は幸せだと感じました。自分の周りには素晴らしい人はごまんといて、その人たちを尊敬し、自分の人生にも満足できればそれでいいと思うのです。

 

今の環境で、それほどストレスを感じているとは思っていなかったけど、同年代の日本人に会った瞬間ぽろぽろと話したいことが出てきて、それは向こうも同じだったらしい。話すことでそれまでの不安や整理できていないことを消化していく、それが母語でできる安心感。コミュニケーション、大事ですね。

世界中にいる協力隊員の中には、なかなか日本人と話す機会がない人もいるでしょう。現地に溶け込んで生活している人はかっこいいですが、きっとそれだけ伝わらないことやもやもやを心の中に溜め込むことも多いはず。たまには母語でのコミュニケーションの力に頼ることも必要だと思うし、私も自分から声をかけたいなと、今回のことを通して思ったのでした。

 

4週目。今やっていること、来週から始まる授業について

そうこうして、だんだん周りの状況が理解でき、生活リズムも整ってきた4週目です。

 

赴任して、何をすればいいのかおろおろしていた2日目に、先輩隊員から「ここで何かやりたいことないの?」という質問を投げかけられ、(状況が分かってないからやりたいもなにも、具体的にすぐに言えないし!!…とは言えず)すぐに答えられなかった悔しさから、1週間目でやりたいことリストを作り、それをぼちぼち進めています。

 

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(日本文化の紹介?)

 

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(お絵かき?)

 

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 (これは…?笑  ポスターは学生作成)

 

活動はできる限り学生主体にしたいので、あくまで私はただの仕掛け人として。まだまだ途中でうまくいくかわかりません。でも何事も楽しみながらやっていきたいですね。

 

そして授業。見事に1か月無かったのですが、来週から授業をもてることになりました!まだ学部の授業の情報は来ないので、今の所ですが、2クラス×週3コマ、計週6コマを担当する予定です。どちらも課外授業で、単位は無し。

1つは大学院生のクラスで、前学期に選択授業として開講されていた会話中心のクラスの続きを、希望者を募ってやらせてもらいます。

そしてもう1つは、7月にある日本語能力試験(JLPT)のN5(1番下のレベル)を受ける人向けのクラス。今募集をかけていて、最大20名のところ、15名くらいは埋まってきてます。

 

そう、ここに来て驚いたのは、課外の授業を自由に作れるということ。作れるというか、学生が個人的に来て「先生、N5の授業をお願いします」という風に依頼してきます。学生と時間を調整して、他にその時間で参加したい人を募ったり募らなかったりして(教師次第)、 教室を確保したら、授業開始。

私のN5のクラス以外にも、先輩隊員とカウンターパートの先生はN4のクラスをを2つずつ持っています。

 

課外ということで、単位もなければ評価もないので、何もかも自由!自分の好きなように進められるし、成績をとるための責任感もないので気持ちとしてはとても楽です。もちろん能力試験の学生たちのN5合格という目標には責任感じるし、そうじゃなかったとしても一生懸命やりますが、初めて担当させてもらう授業としてはとても嬉しい条件です。

 

授業は始まってみないと分からないけれど、今のところN5のクラスは全員マレー系。大学院生のクラスはマレー系と中東からの留学生。

課題は非漢字圏の学生たちにどうやってたくさんの語彙を教えていくか。

マレーシアでは、日本語の学習はやはり中華系の学生が圧倒的に有利で、マレー系の学生はどうしても遅れがちになります。今回私がもつクラスは、中華系が混ざっていないので、ゆっくりマレー系の学生の進度に合わせて時間をとることができる。

マレー系と中華系の学生の混ざったクラスを教えるというのも、マレーシアでの日本語教育の難しさであり、やりがいかもしれません。

 

長くなりました。3週間も溜めてしまった自分のせい。笑

とりあえず今は来週の授業に向けて、教案作りに励みます!

 

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(母が送ってくれる実家の猫の写真に癒されながら。)

 

おわり

 

初日

こんばんは。今日はしっかり書きます。

なぜなら今日は勤務初日!

社会人としての第一歩(…という意識はあまりなかったけど)、ついに踏み出しました!

 

職場について

私の職場は、マレーシア日本国際工科院(MJIIT)という組織ですマレーシア工科大学(UTM)の一部として2011年に設立された、日本の工学教育を行う少し特殊な大学。日本のODAでつくられたということで、JICAから日本語教師隊員が要請されている他、工学関係のJICA専門家も多数所属しています。

なので、半分日本の職場のような感じ。基本的に日本語教師どうしの会話は日本語。事務の方など、日本語を話せない人との会話は英語。多分授業もほぼ日本語でたまに英語。つまり、、、今まで約3か月勉強してきたマレー語は職場ではほぼ使いません(涙) 

それじゃあ勉強する必要なかったんじゃないか……とは全く思いません。マレー語の勉強を通してマレーシアの文化について知れた部分は本当に大きい。先生のおかげです。そしてNTCと現地研修という2人の先生から習って、同じ語学教師の視点からもたくさんの学びを得られました。何よりNTCでのマレー語の授業が楽しすぎた。いい思い出。

それに、職場では使わないけれど、生活上マレー語があるととっても便利。手続きの書類や、お店のメニューがマレー語だけというときも結構あります。

そして人間関係を築く上でも、特にマレー系の人たちに使うとすごく喜ばれます。使える場面では積極的に使っていきたいですね。

ということで、そんな半分日本のような職場に入りました。大学なので教員のオフィスは、一人ひとりに部屋があります。私の部屋は前任のJICAボランティアが使っていた部屋のようです。授業以外の時間はここでひたすら授業準備することになるよう。

今日から新学期なのですが、私たち協力隊が関わる授業は今週はまだありません。

つまり、授業がない今週はずっとこのお部屋で過ごします。

技術補完研修のときの大先生が「窓が無い部屋がダメなのよー」とおっしゃっていけど、私もそのタイプの人間(去年台湾で住んでいた部屋に窓がなく、体も気分もだるくなる体験をして気づいた)。今回のオフィスは綺麗で快適だけど、窓がないのが私にはちょっと辛いかな。なるべく休憩で外に出るようにしようと思います。

日本語教師について

MJIITの日本語授業を担当する日本語教師は、大元のUTMの方に2名と、MJIIT所属のカウンターパートが1名、そして1年前からいる先輩と私の協力隊2名、の計5名。UTMの先生が主に学部の文法の授業を、JICAチームが学部の会話クラスと大学院クラス、JLPT(日本語能力試験)対策の授業を主に担当するという風に、棲み分けがはっきりとしています。

そしていろいろと事情があり、UTMチームの授業は見学できません。そして今学期の授業はまだ協議中だそうで、始まってみないと分かりません。授業の有無や担当できるかどうかは、私の権限では決められないのでしょうがない。

ただ、しばらく見学かな~とは思っていたのだけど、帰りに先輩から「1か月くらい授業ないと思うので」と言われた時は、内心、拍子抜けでした。余裕ができた安堵感も少しはあったけど。自分の番が来た時に自信を持って教えられるよう、しっかり準備していこうと心に決めました。

今日のお仕事

勤務初日の今日は、まずいくつかの書類を記入し、部屋を整え、何人かの方に挨拶。落ち着いたところで、どれ仕事に取り掛かるか…と思ったのだけど、ん~仕事なんだろう?状態。笑

当たり前だけど、来たばかりの私にやるべき具体的な仕事は特になく、見学できる授業もないし、何をしていいやらふわふわとしていました。。

そこで先輩に何かできないことはないか聞きにいくと、ひらがなの自習ツールを調べてまとめてほしいと頼まれたので、今日は一日、日本語のサイトを見て使えそうなものをまとめていました。

実はこの作業、今年の授業方針に大きく関わっているということが、帰りに先輩とお話していて分かりました。

曰く、今年は「反転授業」を取り入れてみたいとJICAチームで話しているそうです。

 

反転授業とは・・・

今までの一般的な授業では、教師が授業で講義をし、学生は家で宿題をして復習・予習する流れ。これを“反転”させ、学生は授業の前にインターネットなどで教師の講義を視聴するなど内容を理解し、クラスでは、問題を解いたり、練習していく新しい授業のスタイルのこと。

 

おお!反転授業!興味があったので急にやる気が出てきた!

反転授業の導入にはそのメリット、デメリットをよく理解し、教材を準備し、内容を組み立てる必要があります。これからしばらくは反転授業に関していろいろと読み込んで知識を深め、先生方と共有、検討していくことになりそうです。

 

こうして初日が終わりました。

しばらく授業がないことにショックを受けつつ、課題と目標が見つかったので、これから充実した日々を送っていけそうな気がします。

 

((本当は本当は早く授業が見たいし学生と話したい))

 そんな心の声で今日は終わり。